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2021.01.16

「商売を続けていくということ」二本松法人ニュース・阿多多羅 掲載

二本松法人ニュース「阿多多羅」第19号(発行/公益社団法人二本松法人会・令和3年1月1日)

「随筆」として掲載していただいきました。

 


 

 

「商売を続けていくということ」
  株式会社 渡辺孫六商店 代表取締役 渡辺弘一

 

令和3年の幕が明け、今年こそは平穏で安定した年になって欲しいと願わずにはいられません。
しかしながら、順風満帆な時よりも逆境や苦難の連続という時期の方が多いのかもしれません。
十年前の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故による放射性物質拡散やその後の風評被害、一昨年の東日本台風による洪水災害、そして、昨年の新型コロナ禍など、私たち事業者を取り巻く環境は時には、激し過ぎるほど過酷な現実に直面する場合があります。
弊社、株式会社 渡辺孫六商店もそうした時代の激流に翻弄されながら、なんとかお客様と地域の皆様に支えられて今日まで事業を継続して参りました。

 

会社の創業者、渡辺孫六は、明治十三年(1880年)安積郡富田村、現在の郡山市富田町の地主の家に生まれました。
当時は安積疎水の灌漑で農業が盛んな地域で比較的裕福な家に生まれたものの、嫡男ではないため丁稚奉公へ出る事となり、当時、会津街道、相馬街道、三春街道の交点で、鉄道の東北本線が開通して、猪苗代出身の野口英世が上京する際に馬車で本宮駅まできて列車に乗り東京まで行ったという交通の要所であった本宮町の伊勢屋金物店にお世話になり、商売の修行を積ませていただきました。
25歳になった明治三八年(1905年)日露戦争が終結した年に鍋などの蓋を木工加工する事業をするために本宮町南町裡で独立、自分が富田村出身だったので、会社の屋号を「富田屋」とし会社のロゴもカタカナの「ト」に出入山形を使用しておりました。
その後、養蚕なども手掛けましたが、壊れた鍋などの金属を再利用する古物商を家業とすることを決断します。

 

自動車など無い時代、大八車という木製の車輪と荷台に荷物を積んで、本宮から須賀川まで約30㎞を往復したり、当時は廃品を屑と呼んで、職業的に蔑まされたりと新規開業の苦労も多かったと聞いておりますが、「人様に損をさせるな、人様の為になることをしろ」と言って、授かった二人の男の子や六人の孫たち、そして家業を育てていきます。
しかし、昭和十六年の大洪水で浸水被害に遭ったり、太平洋戦争が激化すると、「金属類回収令」が出され、金属資源は強制譲渡命令によって、自由に売買することが出来なくなります。
また、妻ナツに先立たれて、終戦を迎えると長男喜一と次男栄も立て続けて病で亡くすという不幸に見舞われますが、喜一の妻キミが持ち前の気丈夫さと明るさで残された家族と孫六を支え、昭和三三年(1958年)事業を法人化して株式会社 渡辺孫六商店とします。
孫の恒夫が事業を引き継いだ晩年は、隠居部屋で悠々自適に生活を送れたのも束の間、昭和四二年二月の本宮大火で南町裡の創業の地にあった自宅も会社も全焼、最初は風向きが風上だったため焼け出された近所の家の家財道具を一時預かったりした事から、急に風下に変わって類焼しそうになると、その預かった品物の避難を優先させて、自分達の家財道具は、ほぼ焼失させてしまったそうです。
ただ、火事で亡くなった人も無く、その機会に開通した国道四号線沿いの現在地に事業拠点を移すことになりましたが、当時は、現在のような火災保険にも加入しておらず、一部の銀行からは借入の一括返済を迫られるなどあったようですが、二本松税務署長から直々に「今は、税金支払いの心配はしなくても大丈夫だから、再建に尽力するように。」と言って頂けたことが本当にありがたかったと恒夫は今でも火事の話をする度に回想して言います。
人様の苦しみや悲しみにどのように寄り添えるか、どの様に共感することが出来るのか。
「シンパシー(sympathy)」という言葉がありますが、商売でも行政でも人様を相手にする場合には、このシンパシーという「共感・共鳴」や「同情」という事が要諦なのではないでしょうか。孫六が孫たちに言って聞かせたもう一つの言葉が「学者必ず間抜け面」があるそうです。
そこには、尋常小学校卒の孫六の高学歴者へのコンプレックスでもあるような感じもしますが、自分が苦労して生きて来て会得した人間としての在り方、知ったようなつもりになるなということが込められているように思っています。

 

明治、大正、昭和の激動の時代を駆け抜けた孫六は昭和四三年(1968年)に八十八歳で亡くなりました。
その足跡は、会社名として残り、その事業は、孫の恒夫と曾孫の弘一、そして、玄孫の仁哉の5世代に渡って引き継がれようとしています。

 

私の孫六の記憶は、あまり笑わず少し怖いという印象で、孫六の部屋に行くと、煙管で刻みたばこをくゆらしながら、梅干しに砂糖を沢山まぶして私の手のひらに渡してくれたのを覚えています。
子供の私には梅干しの酸っぱさと砂糖の甘さがどうにもしっくりせず、苦手だったのですが、明治生まれの孫六にとってはそれが最高のもてなしだったのかもしれません。

 

無骨で質素に生き、人様の為になる様な商売をする。わが社の伝統にして行きたいと思います。

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